陳泮嶺先師は1960年に中国太極拳倶楽部を設立し、この太極拳の普及に努めました。
陳先師は太極拳の専門家であるだけでなく、李存義の関門弟子として形意拳の達人でもあり、程海亭からも八卦掌を学び内家三拳融合のさきがけでした。
そんな陳師と形意門において兄弟同様であった王樹金師が台湾で再会することになるのです。
王師の形意拳の師は張兆東(占魁)。李存義と張兆東はお互いに劉奇蘭に形意拳を学んだ兄弟弟子です。
張兆東、李存義存命当時からも双方の弟子は行き来があったようですし、陳師と王師はまさに兄弟同様だったといいます。
陳師と王師 それぞれに名声の高い形意拳・八卦掌の達人でした。
そして、のちに王樹金老師は台湾からの使節として日本に来られ、簡化太極拳などが伝わる以前から、日本で太極拳を教授しはじめます。そのころ伝えられたのが現在「正宗太極拳」といわれているものだと考えられます。
ただ、河野勝義氏の著書、「太極拳真伝」によると王樹金老師もこの太極拳を単に「太極拳」と呼んでいたようです。
ちょっと誤魔化してしまいましたが、では、双辺太極拳と正宗太極拳は同じものなのでしょうか?
このあたりはまた後日に・・・
今日は当直なので、更新は2,3日後の予定です。
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